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最高裁判所第三小法廷 昭和38年(オ)31号 判決 1964年5月26日

上告人

吉田貞美

上告人

吉田テルミ

上告人

吉田盛子

右三名訴訟代理人弁護士

菅原勇

被上告人

千葉さきく

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人菅原勇の上告理由第一点について。

事実審の専権に委ねられた証拠の取捨判断および事実の認定を非難するにすぎないから、採用するを得ない。

同第二点について。

原判決が確定した事実によると、被上告人は昭和二七年七月末ごろ駐在巡査の媒酌により亡吉田源吾と婚姻の式をあげ、爾来内縁の夫婦として本件家屋において同棲してきたところ、右源吾は昭和三四年一月九日癌のため入院し、病状からして到底助からないことを覚悟するに至り、同月一八日被上告人に対し本件家屋を土地とともに贈与し、その際、該土地家屋の買受に関する契約書をその実印とともに被上告人に交付し、その後、同年三月九日源吾は死亡するに至つたというのである。このような事実関係のもとにおいては、右贈与がなされるまでは被上告人の本件家屋に居住する法律関係は、源吾の占有補助者としての立場にあつたと解せられるが、前記のように、本件家屋の贈与がなされ、かつその権利の表象ともいうべき右家屋の買受に関する契約書がその実印とともに被上告人に交付されることによつて、源吾より被上告人に対して簡易の引渡による本件家屋の占有移転が行なわれたものとみるべきであるから、本件贈与の履行はこれにより完了し、したがつて、右贈与契約はもはや取り消すことができない旨の原判示判断は、正当として是認すべきである。

論旨は、本件の場合には、前記のような簡易の引渡があつたとすることはできないと主張し、その理由として、源吾の死後間もなく被上告人は岩手県東盤井郡東山町松川在の実家に帰り、爾来一〇箇月にもわたつて本件家屋を不在にしたことなどを挙げているが、たとえ、かかる上告人主張のような事実があつたとしても、前記のように、本件贈与ならびに簡易の引渡が行なわれたのは昭和三四年一月一八日であり、源吾の死亡は同年三月九日であるというのであるから、そのような事実が前記の事情のもとになされた占有移転の効力の発生の妨げとなるものではないし、また、既に発生したその効力がこれにより消滅するいわれもない。論旨は、独自の法律的見解に立脚するものというべく、採用するを得ない。

よつて、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。(裁判長裁判官田中二郎 裁判官石坂修一 横田正俊 柏原語六)

上告代理人菅原勇の上告理由

<第一点 省略>

第二点 本件係争物件につき上告人の先代源吾より被上告人に対し贈与の事実ありとするも、それは書面によらざるものにつきこれを取消すとの上告人の仮定主張に対し、原判決は既に簡易の引渡に依りて該贈与は履行済のものであるから取消はできないものと認定して上告人の主張を排斥した。

けれども被上告人援用の大審院判例にもある如く贈与者と受贈者との間に従来より内縁関係があつて同棲していた場合には簡易の引渡ありと認められる場合もあり得るが常に必ずしも然るものではないこと勿論である。要は簡易の引渡ありや否やを認定するには受贈者がその簡易の引渡を受けたと称する時以後は自己のための占有事実が客観的に存在しなければならないわけである。ところが本事案は源吾の死亡後間もなく被上告人は係争家屋より退去して東山町松川の実家に帰宅して爾来十ケ月も不在であつたもので上告人が入居開始の二、三日後これを他の者より聞知して狼狽し俄に深夜突如侵入して上告人を実力を以て排除した事実である。(原審証人吉田周治及び上告人本人尋問の結果)。斯の如きは被上告人が簡易の引渡を受けて爾来その占有を継続した客観的事実ありと認むべきでないことは社会常識上明かである。

然らば原判決はこの点において虚無の証拠に依り違法に事実を認定したものというべく破毀さるべきものである。

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